オオサカジン

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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2013年05月24日

母の戦争体験

定休日、散髪後お袋の老人ホームに行った。
ボケないように色々と昔話を聞くことにしている。
今日は戦争の話。

83才の母は戦争中、愛知県半田市の自宅近くの中島飛行機に学徒動員され、戦闘機の翼の内部の燃料タンクに防弾用のゴムラバーを貼付ける作業をしていた。
中島飛行機は後の富士重工、アイサイトでおなじみのスバルの前身。
軍需工場だから頻繁に爆撃の標的になったらしい。
ある日、例によって空襲警報が鳴り防空壕へ走って逃げる時に、大地震が発生した。
所謂、東南海地震である。
空襲警報は鳴るわ、地面はグラグラするわ、すっちゃかめっちゃかな状態で前を走っていた友達が地割れに足をはさみ、次の瞬間に地割れが閉じ膝から下が切断される光景を目の当たりにした。
どうすることも出来ずにいると、工員さんが大怪我の友達を背負ってくれ防空壕へ走り出した。そのとき「私の足を拾ってきて」と少女は気丈に言うたらしいが、工員さんに諭されて足を諦めた。
揺れが収まって工場へ行くと、地震で崩れており「これで明日から作業しなくてすむわ」と思ったが、そういうことを口に出すとどえらいことになる時代だったので気をつけたそうだ。
足がちょん切れた友人が心配だったが、バスに乗せられ学校へ戻ると来る時の半分に人数が減っていた。
母の女学校と隣の小学校は校庭を共有しており、足を失った友達は小学校の校長の娘さんだった。
それぞれ少し離れて整列して点呼を受けていたが、校長である少女の父親はこちらの列に自分の娘が居ないことに気が付き、ひどく辛そうな表情をしながらも毅然としていた。
その姿が今も目に焼き付いていると。
足を失った友達は命を取り留め、後日松葉杖で学校に来た。
後に学徒動員は終わったが、学校の講堂が野戦病院になり母は看護師の真似事をすることになった。
しかし医薬品は少なく、背中を擦って声をかけるくらいしか出来なかった。
何人も何人も目の前で死んでいった。
そして終戦を迎え「やれやれ、もう戦争はごめんだ」と、やっと口に出した。
「そういう訳で、私の女学校時代は勉強なんか全く出来なかったからこんなに頭が悪いのよ」と母。
「昨日のことは全く覚えていないのに70年前のことはよく覚えてる。オレは50年前のことは全く思い出せないから、お袋さんは大したものだ」と褒めておいた。

*母の記憶でありますから、事実と異る所も有るかと思いますが御容赦を。  
Posted by Joe at 04:03Comments(2)介護

2011年11月19日

介護日記 ペーパードクター編 その2

秋深まる今日この頃、皆様如何御過ごしでしょうか?
大阪は知事市長のダブル選挙で盛り上がってますが、、、ん、盛り上がっているか?少なくともわたしゃあまり。。

さてだいぶ間が空きましたが、介護日記ペーパードクター編の続きです。記憶が飛ばないうちに書いておきましょう。

経鼻経管栄養チューブを交換できない医師に代わって新しい在宅医を探すべく、宝塚市内の開業医を訪ね歩いたのですが、なかなかうまく行きません。父の状態を伝えると、その重症さのせいでしょうか断られてしまうのです。
もう一つ奇妙なことがありました。前任の医師がいまいクリニックの今井医師だと言うとマイナスの反応がでるのです。
ある医師はウーンと考え込み、ある医師は露骨に嫌な顔をして尻込みするのです。
一例を挙げます。尼崎のさくらいクリニック。ここの桜井医師はある人の紹介で辿り着いた地元では熱心で評判良い在宅ホスピス医です。アポを取るべく電話でかくかくしかじかと事情を話した時のことです。
桜井医師は事情を聞いて、
「それは腕の悪い医師ですなー、さぞお困りでしょう、なんなら今から行って交換してあげましょう、渋滞無ければクルマで15分ほどですから主治医になることに問題はありませんよ」
と嬉しい返事で主治医を快諾頂きました。
しかし話の最後に前任の今井医師の名前を聞いた途端に「そりゃまずい、彼のあとはダメだ」と。
しかし何とかお願いしますと頼み込み、とりあえず今井医師と連絡を取ってみてと御願いして、電話を切りました。
そして数時間後電話がきました。
・今井先生は腕の良いドクターだから彼に出来ないチューブ交換は私にも出来ない、
・場所も遠いのでウチでは無理だ、
・今井先生とは友人だから云々カンヌン(細かい内容は忘れた)
とおっしゃいました。
どうやら私はややこしい人間を敵に回してしまったようです。
しかし、どうなんですかねぇ。もし私がギターの修理で失敗して顧客が他のリペアショップに行ったとします。そこのリペアマンは偶然に私の友人で、その件で電話をもらったら、私でしたら「ワシ、かくかくしかじかで失敗してもうたから、何とか上手く修理してやってや、くれぐれも頼むでぇ〜」とバツの悪さを感じつつ平身低頭でお願いしますけどねぇ。
しかしそうは言うてなかったことが桜井医師の態度豹変から想像出来ます。おそらく「あの藤森はややこしいこと言う患者やからやめときやー」とでも言ったのでしょうか。あるいは「オレの後でオマエが上手くやってもうたらワシの評判ガタ落ちやんけ、絶対引き受けるなよ!」と言うたのでしょうか。どう言ったのか分かりませんが、今井医師からの何らかの影響で、私たちは新しい主治医を得ることが出来ませんでした。
そして桜井医師は評判の良い医師らしいが、チューブ交換は出来ないということ。クルマで15分の距離は営業範囲外だということ。尼崎で私と同じように寝たきりの親の介護に奮闘している方には参考にして頂きたい。しかし多分そんなことはない評判通りの良い医師なんだろう。僕だけに言った言い訳だと思うよ。
私は3つの会社に勤め、3つの業界で仕事をして、今は自営業を営んでいる一般的な大人だ。決して聖人君子のような清らかな汚れのない人間ではなく、金の為に仕方なく後ろ指さされることもしてきたし、ウソもついてきたし、まあ、私に限らず多かれ少なかれ普通の人は少々の悪人と少しの善人の両面を持って生きているものであろう。そんなどこにでもいる人間なんだから、「大人の事情で主治医に成れないのよ、解ってくれ」と正直に言ってもらえたら、それだけで十分理解出来るし腹も立たないのに、こんな見え透いたウソを言うとは。少々あきれた。

かくして主治医が見つからないまま時は過ぎていき、飛び込みセールスのごとく開業医を訪問するのに疲れて、そして年末を迎え焦ってきました。
あー、あの今井医師に頭下げてお願いすることになるのかな、、、と思い始めました。しかし親父を毎月、救急車で病院に搬送してチューブ交換するのはリスキーだしオヤジ本人にとっても辛いことだろう。必要とは言えタクシー代わりに救急車を使うのも社会的に非難されそう。
とクヨクヨしながら、売上げノルマに押し潰されそうな新人営業マン時代のような重い気分だったが、仕事そっちのけで主治医探しに奔走した。
しかし自然は無情に時計の針を進め、残り時間は減る一方。なんとか年末年始の休みに入る前にチューブ交換だけでもしておきたかったので、兵庫県の片田舎で開業している友人の医師に、非常に厚かましいが、いざとなったら交換してくれないかと泣きついた。
彼は快諾してくれた。とても嬉しかった。ノルマ未達で会議室で説教くらった後に、元気出してと缶コーヒーをくれた総務部OLのKちゃんのようだ。Kちゃん、今ごろどうしているのか、もう結婚して子供も出来ただろう、、、、、そんなことはどうでもいいか。
心優しき友人に勇気づけられ、私は再び医師探しにまい進するエネルギーを得た。
そして数日後、小林(おばやし)にある内田医院を訪問した。 棄てる神あればなんとやらで、 内田先生は「2ヶ月も交換していないのはヤバイ。とりあえず交換だけでもしようやないか」と、今井医師の影響なんのそので動いてくれた。が、チューブが無い。
時は年末12/28日。医療用品卸業者も業務終了してる。
そこで内田先生の知り合いの医師数人にチューブを持っていないか探してもらって、見つかったのが金井町の中出医院の中出医師。在宅医の看板を上げていなかったが、胃カメラの名手だそうで、内田先生いわく「ワシより上手いから、すぐ行ってこい」と。で、速攻訪ねて行くと、中出先生、チューブを握りしめて玄関でお出迎え。挨拶もそこそこにオヤジの元にお連れした。ものの数分でスムーズに交換。
おおー、こんなに手早いのは初めてだ。中出先生、テクニシャンじゃないか。
あらためてオフクロとお礼を述べ、主治医をお願いしたが、中出先生は既に引退している御歳70数歳で、現在は2代目が取り仕切っており、在宅医療は行っていないとのこと。
しかし来月も主治医が見つからなかったら、交換はなんぼでもしてくれると暖かい言葉をもらった。
内田先生も往診する患者を多数抱えており、もう無理とのことだったのが、取りあえずの時間稼ぎになったので、最低限の状況で年越しは出来るかなと思った。
そして中出先生と別れてから内田先生より連絡があり、すぐ来いとのこと。
行くと、ご自身の人脈から私たちの為に主治医を探して頂いていた。内田先生にも正直に今井医師のことは話してあった。内田先生は何もコメントしなかったが、少し厳しい表情をされたことを記憶している。この複雑な地域医療の力学を踏まえた上でご紹介頂いた医師は前任医師の影響の及ばぬ医師であった。
紹介してくれたのは栗田クリニックの栗田先生。オヤジのCT写真やデータを持って、かくかくしかじかと事情を話し、米搗きバッタの如く頭を下げ、主治医をお願いした。
「内田先生の紹介だったら断れないよ」と快諾してくれた。
とっぷりと日の暮れた夜の宝塚を実家に向かってクルマを走らせながら、安堵のため息を50リッターくらい吐き出し「オヤジもう安心だぞ」とガッツポーズしながら涙が出そうになったことを覚えている。

翌日、栗田先生が仕事納めしていたにもかかわらず、看護師さんを連れて往診してくれました。
「藤森さん、初めまして」と寝たきりのオヤジに、にこやかな挨拶をしてから診察が始まった。
栗田先生は気さくな感じで、人柄も良さそうだし、お袋の少しピントの外れた話しにも、うんうんと相づち打ちながらじっくり聴いてくれている。ホッとした。

中出医院も栗田クリニックも私が持つ在宅医のリストには載っていなかった。中出医師は前述の通り引退。後に知ることになったが、栗田先生は一年前に在宅医の看板は下ろしたそうだ。しかし内田先生の紹介だということと、私の剣幕が凄かったので、断れないと思ったそうです。
でありますから、宝塚市内でオヤジと同じような重症な親御さんを抱えて介護に奮闘している同世代の方には参考になりませんね。栗田先生も中出先生も現在は在宅医ではありませんので。
内田先生はお忙しそうですが、誠実なお方です。
初めて会う私に、しかも自分の儲けにはならないのにあれだけ医者探しに協力してくれたのですから。小林近辺で私と同じように主治医に困ったら相談してみてもよいかと。

それにしてもオヤジのような症状だと、自宅で最期までと言うのは、かなり無理があるということを思い知らされた。家で死にたいというのは、そんなに無理なお願いなのかね?
弱者に優しくない社会だと思った。
過去私はいつも強い者を相手にしてきた。サラリーマン時代は、頭の固い上司や、なかなか契約書にハンコを捺さない社長さん、値切りの激しい仕入れ担当者、現場の親方や職人さん、等々。いつも相手以上に強くなって打ち勝とうと頑張って来た。
父の介護が始まってから、初めて弱者の現実を目の当たりにして思う。経済成長とか、国を豊かにするとか、winwinとか、グローバル化とか、高効率化とか、、、もういいじゃないか。これ以上速いパソコンは要らないし、これ以上豪華なクルマも必要ない。牛丼だって280円にしなくてもいい。
日本は戦争もテロも暴動も無い世界一平和な国になったし、社会システムは非常に安定している。 生まれてくる赤ん坊の死亡率は世界一低いし、平均寿命も世界一長い。 もう充分だ。ここらで発展は終わりにしよう。
どこかが発展すれば、どこかが衰退する。一方が儲かれば片方は損をする。当たり前だ。
これからは父のような弱者、病人や障害者、まだ社会システムが未成熟なアフリカや中国などの人たちの幸福が優先されるべきじゃないかな。

ともかくやっと安心して年を越せることになり安心した。
このまま長年暮らした家でオフクロと共に、神様の決められた時が来るまで静かに過ごして欲しいと思った。

つづく  
Posted by Joe at 05:52Comments(4)介護

2010年06月23日

介護日記 11回目 ペーパードクター編

久しぶりのブログ更新です。読者の方には更新が遅れてすんまへん。
お袋の世話が大変で、非常に忙しいのですわ。
オヤジは重症だったから、毎日入れ替わり立ち替わりヘルパーさんや看護士さんが家を訪れて、ついでにお袋の面倒も見てくれていたのですが、オヤジが死んで誰も来なくなったもので。
オフクロは介護認定を受けるも「要支援1」というもっとも軽いレベルで、週に2回程度掃除などに来てもらうのが精一杯です。
で、私と妻がオフクロの面倒を見ることになってしもて、仕事を終えてからの実家通いの毎日で、あー、疲れたと。。んでもって、もっと良いクルマが欲しいなと、、、。夜の高速をぶっ飛ばすと、いまの1300CCのチビこいクルマは頼んない。
でもあまり大きなクルマは趣味じゃない。VWのポロにしようか、ホンダのcrossroadにしようか、日産のデュアリスもいいなと。問題は嫁ハンがダメ出ししてることで、何か突破口は無いかと考えるも嫁ハンに頭の上がらないワシはカタログを取寄せて毎日見て楽しむだけなり。あぁ無情。
まあそんなこんなで、先日無事に納骨をすませ、母の老人ホームも決まり、来月にはホッと一安心出来そうな感じです。

閑話休題。
さて、オヤジの在宅介護の続きですが、、、えーと、どこまで書いたっけ?
あー、在宅介護がスタートしたところでしたね。
2008年11月2日に始まった在宅介護ですが、父の状態は不安定で、乱高下する血糖値、原因不明の発熱、頻発する無呼吸、続く下痢、等々で脳の半分が無い状態だと身体のコントロールもうまくいかないのだそうです。
搬送する時は救急車を使うようにと国循のドクターに言われたくらいですから。
という状態ですから主治医選びは慎重にしなければならなかったのですが、何処のどの医師が良いかなんてわかりませんから、ケアマネTさんのお勧めの「いまい内科クリニック」の今井医師に御願いしました。
父は鼻の穴から胃にチューブを通し液状の栄養剤を注入することで食事をとっていたのですが、このチューブは1ヶ月で交換しなければなりません。
12月頭に交換時期が来たので、今井医師が交換しようとしたのですが悪戦苦闘の上、交換出来なかったのだ。
なんでやねん!? 今までの病院では何の問題も無く出来ていたこと。国循では看護師がやってました。上ケ原病院ではドクターがやっていましたが、交換はスムーズに行えてました。
今井医師曰く、設備の無い在宅の状況では不可能とのこと。設備のある病院に父を運んで、レントゲンや胃カメラなどで肺に入らないように慎重に胃に入れていかな危険だと。
しかし時は寒い冬、こんな状況で父をウイルス蔓延する病院に運んだら、一発で風邪ひいて死んでまうがな。
それにこれから毎月チューブ交換の為だけに救急車を呼んで病院に行けというのか? 勘弁してくれ。

何とかならんのかと今井医師と話し合うも、「医者を25年やっとる私が無理だと言うておるのだから言う通りにしなさい」「交換しないでも詰まらない限りはOKだから、とりあえずこのままでも良い」とのたまう。ホンマかいな?
また胃瘻のチューブだったら交換出来るから、大きな病院で胃瘻設置したら今後が便利だとも。
しかし父は15年ほど前に大腸ガン手術をしており、その時の影響で胃瘻プラグを設置出来ないのだ。医療引き継ぎ書に書いてあるでしょ、お読みになっていないのですか? と突っ込むと沈黙しよった。
アカンわこの医者。
私はチューブ製造元に交換時期を電話で聞いてみた。流石に医師の言うことを否定はしなかったが、あくまで一般論として交換は30日までに行うのが普通であるとのことだった。抵抗力の落ちた老人や乳幼児は2週間で交換すべしとも言っていた。

また友人に医師が何人かいるので聞いてみたら、「普通は出来るぞ、下手糞な医者だなー」、「そういう医者をペーパードクターと言うのだ」とまあ散々な言われようである。
つまり今井医師の言ったことは全部ウソ。要するに技術が無いだけ。それを取り繕う為に私にウソをついたというわけ。
今どきはネットで検索したら簡単に交換時期などは解るし、今回初めてチューブ交換する訳では無いわけで私は何回も交換現場を目の当たりにしているのだ。しょーもないウソをついてもすぐバレるのだ。ろくでもないヤブ医者だ。
国循でもその次の病院でも胃カメラなんか使わずに出来ていたこと。毎月交換したチューブは胃の中に入っている部分は雑菌の繁殖や胃液にやられて真っ黒に変色しドロドロであったから、早く交換しなくてならないこと、すぐバレるウソをつく人間性、等々から今後父を任せておけないと判断し、私は今井医師にはお引取りねがった。クビである。

しかしケアマネTさんが異議を唱えた。今井医師は宝塚市保険福祉サービス公社(以下公社)とは長年コンビを組んで、多くのお年寄りの在宅医療で実績を作ってきたそうだ。だから今井医師以上に良い医者は居ないから、今井医師の言う通りにした方が良いというのだ。
これはダメな姿勢です。サービスや商品を提供する人間が陥りやすい落とし穴、と言ったら大袈裟ですけど、私がサラリーマン時代によく経験したことであります。

今井医師は父以外の多くのお年寄りに優良な医療を提供していたらしいが、そんなことは私には関係無いのだ。
他の何千万人に有効でも父に無効であれば、我々にとってはダメな医師でありダメなサービスなのです。
よく言われる言葉に「優秀なホテルマンは全てのお客様を特別扱いする」というのが有ります。
サービスや商品を提供する側の人間は多くの顧客を持っているので、自分を中心に考え「自分 対 多くの顧客」つまり「1 対 多数」と考えてしまいがちです。
しかし顧客の立場に立つと「自分 対 1つのサービス」つまり「1 対 1」の関係なのです。
ホテルマンの話はお客様の立場で「1 対 1」の関係を顧客の数だけ持ちなさいということです。名言ですね。
これを理解出来ない人は「そんなクレーム言うてくるのはあんただけだよ」なんて言うてしまうのです。
良いセールスマン、サービスマンは全ての客と1対1の関係を作り、決してお客に多数の顧客のうち1人という大多数の1部だなんて感じさせないのです。
ましてそれぞれ違う生身の人間相手の医療を提供する医者ならなおさらです。
今井医師は他の患者には良い医師だったのでしょう。だからこそケアマネは私にも勧めたのだと思います。しかし父にはフィットしなかった。
今井医師は看護師でも出来るチューブ交換が出来ない技術レベル、しかもウソつき。父は毎月1回のチューブ交換は必須。

この現実を前にしてもケアマネは、今井医師は良いドクターだから引き続き世話になれと言うのです。
あきれて開いた口がふさがらない。Tさんが私の部下だったら、地獄のセールスマン研修行きを命じますね。行動10箇条を大声で叫び、セールス烏の歌を砂浜をランニングしながら歌うがよい。

チューブは交換されないまま50日が過ぎている。
ケアマネTさんの助言には従えない。他の医師を紹介してほしいとお願いしたが、ケアマネTさんは怒ってしもうて「そんなことには協力出来ない。自分で勝手に探してくれ。私は担当を降ります!!」と啖呵切られてしましたわ。見事なブチ切れ具合ですわ。
しかしここで降りられたら、また一から介護事業者を探して段取りして、、、とやってられない。Tさんを怒らせちゃまずいわ。

「いやぁ、すみません。言い過ぎました、勘弁して下さい。そちらに御迷惑かからないよう探しますからあと1週間の時間を下さい。見つからなかったら今井先生に土下座してお願いします」と、とりあえず場を収めました。
それにしてもTさん、見事なブチ切れっぷりです。でもね、一所懸命やってる人しかブチ切れませんからね。
Tさんの一所懸命さはそれまでの仕事で充分私には伝わっております。しばし頭を冷やしてもらえたら理解してもらえると思いました。隣に座っているM課長の目もそう言うておりました。

しかし客観的にみたら、オヤジを一目見たらチューブ交換が必要なことは最初から分かるはずなのに、交換のことまで気が回らなかったのか、交換出来る医師かどうかチェックせずに今井医師を推薦したのか、いずれにせよケアマネTさんのあきらかな失敗である。
交換出来ないと判ってもなお主治医の交代を認めたがらないことも失敗だと思う。
私は失敗を責めたりしない。失敗しない人間はこの世に居ない。しかし失敗を失敗と認めないケアマネTさんの対応は非常に残念だったし腹が立った。
まあTさんを敵に回しても得は何も無いので、場を収めたものの、今井医師に土下座する気はサラサラ無かった。あんなクソ医者二度と会いたくないわ、次の医者を速攻で見つけてやるわい、と思っていた。。。。 続く  
Posted by Joe at 04:27Comments(0)介護

2010年03月27日

介護シリーズ 10回目 藤森元 逝去

先日、父が天に召され、介護日記を書く意欲は一気に失われたのだが、
もともと自分が在宅介護のことをネットで調べようとして、
有用な情報がネット上に無かったから書き始めたものであったわけで、
そういう意味でやはり途中でやめるのは良くないので続けて書いていこうと思います。
在宅介護が始まって先週で終わるまで、結構問題が起きたのです。
しかし終わり良ければすべて良しで、
「死ぬ時は自宅で」というノルマを達成した私は奇妙な満足感を感じているのである。


が、ここでは介護と少し離れて、父のことを書いておこうと思います。

昨今、何かを調べる時はネットで検索するのが当たり前ですが、父の情報はほとんどネット上にアップされていない。
そこで、せめて経歴だけでもネット上に保存すべく以下に記す。
ギターリペアショップのブログという父には似つかわしくない場所かもしれないが、許してもらおう。





藤森元(ふじもりはじめ) 略歴



1925年 11月 大阪に生まる

1948年 12月 日本茶督教団札幌北光教会で受洗

1950年 3月 北海道大学農学都農学科卒業(植物育種学専攻)

1950年 4月 日本YMCA同盟学生部主事として奉職

1950年 9月 名古屋YMCA主事に出向

1952年 1月 日本YMCA同盟学生部主事として帰任

1952年 10月 日本YMCA同盟学生部関西駐在主事として京都に移る

1958年 9月~59年 8月 ニューョーク・ユニオン神学校のProgram of Advanced Religious Studies、及びスイス・ボセー・エキュメニカル・インスティチュートに参加

1960年 7.8月 世界キリスト教会議(ストラスブール)及び世界学生キリスト教連盟総会(テサロニケ)に出席

1960年 10月 東京に帰任し日本YMCA同盟学生部主任主事に就任、以後十年間に「教会の生命と使命」委員会主事、SMC方策委員会主事、大学キリスト者の会主事、同機 関誌「大学キリスト者」編輯者、日本基督教団学生伝道委員、同世界宣教協力委員、日本基督教協議会宣教部理事、同協議会規則改定委員会書記などを歴任

1963年 4月 日本YMCA同盟国際部主事を兼任

1964年 8月 世界学生キリスト教連盟総会(エンバルセ・リオ・テルセロ、アルゼンチン)に出席

1967年 4月 日本YMCA同盟都市部主任主事を兼任

1970年 4月 世界YMCA同盟東南アジア地域主事に就任、香港に駐在し、各国YMCAを巡廻、また香港東南アジアYMCA研究所で学科も担当。この間エキュメニカル諸会議に出席

1973年 3月 病を得て帰国。世界YMCA同盟委員長・同総主事及び同アジア地域委員会委員長より表彰を受く

1973年 4月 神戸YMCA副総主事に就任、神戸YMCA就任後、兵庫県青少年本部委員、神戸大学社会教育主事養成講座講師、青年洋上大学講師など県社会教育関係 各種委員、神戸市勤労者福祉施設建設運営委員など市民局、神戸市都市制度調査会委員など神戸市企画局関係並びに青少年問題協議会副会長、図書館協議会委員 など宝塚市社会教育関係各種委員を歴任。また日本基督教団兵庫教区財務部委員、社会部委員等をつとむ 日本基督教団甲東教会員

1979年 3月 神戸YMCAを退職

1979年 4月 神戸女学院に奉職、同年10月より総務部長に就任。

1983年 3月 著書「大学とキリスト教と私 ~世俗なる聖なる生~ 」
「アジアの中の日本とキリスト教運動 ~ナショナルなものと世界的なものの間~ 」を上梓

1990年 11月 神戸女学院を退職

2006年 秋 道路で転倒しクモ膜下出血を発症

2007年 9月 右脳の大部分を損傷する大規模な脳梗塞を発症。寝たきりとなる。

2008年 2月 著書「自分史 ~キリスト教とYMCAと私~ 」を上梓

2008年 11月 自宅での終末期を過ごすべく退院し在宅介護に切替える

2010年 3月15日 老衰により召天 84歳




最後に父の「自分史」の後書きとして私が書いたものを一部抜粋して記す。



私が10代のころ、どういう経緯だったか失念しましたが父に何かの相談をした時のこと。
「主体的に生きろ」と父は私に言った。
主体的という言葉の意味も、そのあとに続く説明も愚鈍な若造であった私には何のことかさっぱり理解出来なかったが、「主体的に生きろ」という言葉だけが脳味噌に突き刺さった小さなトゲのように記憶に残った。
後に大学で哲学をかじった私は、その言葉が意味する深遠に硬直した。
それは思想的なものへ目を向けてくれたと同時に、思想的な生き方は自分には無理だと思い知ることにもなった。
しかしながら、その言葉は後の人生の肝心な場面では必ず海馬の奥底から現れ、ある時は確信をもたらし、ある時は厳しい詰問であったりした。
私はその言葉に支配され、その言葉は私の行為を評価する物差しであり、心の重石でもあった。
そしてそれは決して心地悪いものではなかった。

  
Posted by Joe at 03:49Comments(13)介護

2010年03月15日

金曜まで臨時休業

本日早朝、父が天国に旅立ちました。
2年半前に脳梗塞で倒れて以来寝たきりでありましたが、
母と介護スタッフの皆様の奮闘により、
自宅で最期を迎えたいという父の希望はかないました。

葬儀等の為、誠に勝手ではございますが、
3/19金曜まで臨時休業とさせて頂きたくお願い申上げます。
  
Posted by Joe at 21:06Comments(8)介護

2010年02月17日

自宅介護スタート

仕事を再開して一日が短いと改めて感じました。
左手はまだまだ指がしっかり曲がりませんが、もたつきながらも何とかやってます。
皆様の御来店を御待ちしております。

さて、介護シリーズ10回目です。

2008年11月。自宅での介護生活が始まりました。
ケアマネは(財)宝塚市保健福祉サービス公社(以下公社)のTさん、ヘルパーも公社のスタッフ、訪問入浴は池之島訪問入浴、夜間の泊まりヘルパーは(株)ふたばと(有)池田介護サービス、主治医はいまい内科クリニック、訪問看護は公社といまい内科クリニックの看護師、用品レンタルは川村義肢(株)、という多くの事業所、大勢のスタッフで体勢を整えました。
退院した日、つまり自宅介護がスタートする日に、それぞれの部門の責任者が一堂に集まって会議(業界ではカンファレンスという)をやりました。
母は名刺を沢山もらい、何回も挨拶を交わしたのですが誰が誰だか全部覚え切れません。自分がボケてきたのだろうかと不安になったらしいが、安心しろ、ワシも覚えきれてへん。

余談ですが、それぞれの事業所とそれぞれ契約書を結ぶのですが、今は消費者保護法や個人情報保護法などの影響でしょうか、契約書の隅々まできちんと説明しなきゃアカンらしく、延々と説明するのですよ。
しかもどこも同じような内容。全社から全部聴いておったら日が暮れるわい。それに契約書で気にくわない所があったら修正してくれるのか? と聞くと、それは出来ないと。
なめとんかい! 「 
義務ですから」 と続けようとするスタッフを抑えて、省略しましょうと押し切った。事業所の責任逃れの為だけに何時間も無駄にさせるなよ~~。せっかく作ったこの体勢を今更変更するなんて出来ないのだから。ええ、盲判(めくらばん)ですよ。
だいたいこういう契約書は事前に持ってこいよな。ビジネスの現場ではそれが常識やぞ。もっと言い換えたら商談を重ねて契約書を作るのがビジネスそのものだろう。そういう意味では介護業界はまだまだ未熟です。以上余談でした。

しかしまあ、これだけ多くの人が父一人を診て下さるのです。病院より間違いなく手厚い。
この日までに何回も打ち合わせを重ねて、父の介護計画書を公社のケアマネTさんと作りました。
朝一番に訪問看護が入り、その後2~3時間おきにヘルパーさんに1時間来てもらって、体位変換、オムツ交換、、等々をしてもらいます。夜間は22時に泊まりのヘルパーさんが来て、翌朝6時まで居てもらいます。
週一回の訪問入浴と医師の往診もあります。
インシュリンの注射、痰の吸引、栄養剤の点滴、は医療行為になるので公社のヘルパーではしてもらえないので、母が行います。夜間の痰吸引は技術を持ったヘルパーさんが来てくれるので、個人対個人で契約書を結び、痰吸引を依頼します。
他人が何人も頻繁に家に上がり込んでくるので、母にとっては結構なストレスの原因になるかもしれません。
また父の状態がどう変化するかも解らないし、心配の種はつきませんが、とりあえずこの体勢でスタートして問題箇所は適宜修正していこうと。
盛り沢山のサービスでスタートしたので、余計な、不要な部分を削っていくことになるだろうと私は予想していました。それくらい限度額いっぱいまで盛り込んだのです。毎日の訪問看護と一日4回のヘルパーさん、及び泊まり込みのヘルパーさん。これ以上手厚いのはもうヘルパーさん常駐くらいしかないのじゃないか。

ヘルパーさんは皆お優しい人ばかりです。
利用者とあまり個人的な話はしないそうなんですが、少し聞いてみました。
ヘルパーをしている動機は、親を何年も介護してその経験を活かす為だとか、あるいは生まれた時から障害を持ち寝たきりだった息子さんを見送って今後も弱者の為に働きたいと思ったから等、涙無くしては聞けない人間味溢れるバックボーンを持っている人も居ました。
病院の看護師さんほど技術に優れてはいませんが、老人に心優しいヘルパーさんに囲まれて両親の在宅介護生活は順調にスタートしました。
在宅介護は日常生活の中で営まれるものですから、介護スタッフの人間性は大きなポイントになると思いました。
腕の良い医師より老人の話を聴く医師、介護技術に優れたヘルパーより笑顔が素敵なヘルパーさんです。

さてスタートして数週間が過ぎ,思ってもみなかった面で困ったことがおきました。
母がワガママを言い始めたのです。
歳をとると、その人の人間性というか性格が、より鮮明に出るように感じます。
若い頃は社会性があるし、身体の自由は精神の余裕をもたらしますので、自分勝手な行動や言動は慎むものですが、老人という社会から厄介者扱いされた存在、決して周りはそう扱っていないのだが本人がそう思い込んでしまうのです、ひがみですかね、まあそういう感情と、腰が曲がったり耳が遠くなったり、物忘れが激しくなったり、という老人に普通にある身体の衰えは、本人にとってはやはり普通だと片づけられるものでもなく、まして夫が寝たきりで大変という状況においては精神に大きな悪影響を及ぼし、素が出ます。
その上、慣れない手技(インスリン注射や痰吸引)を自分がしないといけないというプレッシャー、他人がドカドカとひっきりなしにやってくる状況、物言わぬ父と居る孤独、
それらは「辛い思いをした病院から夫を慣れ親しんだ家に連れて帰ってきた」という、母が一番望んだことであり、最も平安に過ごせる環境を得たという、満たされた筈の気持ちを上回るストレスを与えました。
ワガママの内容は細かくは割愛しますが、人間同士の相性の問題です。
解決方法は・・・・全て母に合わせることでした。
頑固になった母親を説得することに私はホトホト疲れ切ってしまいました。
筋が通っていないことでも、スタッフの誰も悪くないことでも全て母が正しいということにして、私はスタッフに頭を下げ、母の希望に沿うようにして欲しいと頼みました。

スタッフに申し訳ないなーと思ったのですが、全然そんなことはなく、スタッフ曰く「よくある普通のこと」だそうです。
拍子抜けしました。
老人の扱いに於ては私より介護スタッフの皆さんの方が1枚も2枚も上手でした。
心優しいヘルパーさん達の気遣いで母のストレスは軽減されていきました。

ポイントを整理しましょう。

・医療と介護スタッフは技術より人間性が重要
・被介護者、介護者の意に沿うことが介護の本質

自宅介護がスタートして一ヶ月でこんな予想外のことが起きるとは、この先どうなるかと思ったが、
こんなもんじゃなかった。。。。。続く  
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2009年10月10日

介護シリーズ 9回目 在宅介護への段取り

急に寒くなった今日この頃、皆様如何御過ごしですか?
オバマ大統領がノーベル平和賞ですって? 彼は何をしたの?プラハの演説が評価されたのでしょうか。そうやったら言うだけやのうて、自分の国の核弾頭の100発でも廃棄しなはれ。しかしまあ、あのような演説をプラハでするちゅうのが出来過ぎちゃうかと。加藤周一さんの言葉を借りれば、圧倒的で無力な戦車と無力だが圧倒的な民衆の言葉が対峙したあのプラハである。是非ともオバマさんには頑張ってもらって、広島や長崎の悲劇を繰り返さないようにして頂きたい。
そんなことより我が阪神タイガースが今シーズンを終えた。今シーズンは夏で終わると思ったのだが、よくここまで楽しませてくれた。ゆっくり休んでくれ、タイガースよ。
休んでいられないのが我々小市民。不景気は相変わらずです。でも凹んでいても何も解決しないので自分でテンション上げて頑張るしかないです。是非とも亀井のオッサンに頑張ってもらってモラトリアム法を施行してもらわんとね。以前銀行はオレらの税金である公的資金注入で助けてもろたんやから、今度は小市民を助けたれよ。何も債権放棄せい言うてるんちごて、ちょいと待ってもらうだけやんけ。でかい企業や役所相手には借金棒引きしとるんやから出来んことないやろがコラ。あ失礼、言葉が汚かったですね (^^ゞ

さて、前置きはこれくらいにして。

「障害者自立支援法の重度訪問介護を利用しましょう」とストレートの長い黒髪が美しいM課長。詳しくはこちらのリンクを読んで頂きたいが、簡単に言うと身体障害者手帳を持っていれば、ヘルパーさんに来てもらう等の費用の90%を税金で面倒見てくれる制度だ。これを利用出来れば120万のうち30数万を介護保険、残り90万弱を障害者自立支援法でみてもらって、支払いはそれぞれ10%の約12万円ですむ。これなら両親の年金の範囲内でいける。
障害者手帳は、国立循環器病センターに入院中に申請していたので、既に発行されて手元にある。何の役に立つか分からなかったが、医師が勧めたので申請しておいたのだ。
申請書類を作るのは多忙な医師にとって手間のかかることらしいので、時間の余裕を持って手配しておいた方が良い。段取りは担当の医師か看護師さんに申し出れば良い。
で早速、市役所の障害福祉課に申請した。適用されるかどうかは市の認定会議で決定されるそうです。この辺の交渉は宝塚保健福祉サービス公社(以下公社)のM課長とベテランケアマネTさんにお願いしました。
障害者自立支援法は市町村が運営の主体になっているので、住んでいる場所によって認定されたりされなかったりがあるらしい。兵庫県だと神戸市や宝塚市は比較的ゆるいが、西宮市は厳しくてオヤジのような場合はほぼ無理だろうとのこと。申請されるままに認可していたら市町村の財政が破綻してしまうから、財政状況や首長のポリシーによって地域格差が生じている。 日本は法の下に平等やったんちゃうんか? という青臭い正論はこの切ない現実に打ち砕かれたが、何とか認可してもらわんと在宅介護ができない。
自治体の本音は、援助(認定)すれば社会貢献ができる(納税者になれる)若年層には認可してやりたいが、オヤジのような寝たきり老人には援助したくないらしい。
なんやとコラ。定年までしっかり働いて税金収めたやないか、これから収めるであろう不確実な人間と違うてたっぷり収めた実績があるやないかコラ! とヤカラ風に怒鳴り込んだろかと思うたが、暴言僻のある私の性格を既に見抜いていたケアマネTさんに制止されたので、冷静になって「何とか一つお願いします」と頭を下げてきました。
自立といっても赤ん坊には赤ん坊なりにオギャーと泣いてウンコブリブリするという立派な自立があり、寝たきり老人にもそれなりの自立があると思うのです。納税者になれる若いもん優先というは当人やその家族は言うても許されると思うが、役所の人間は言ってはいかんと思うけどなー。ま、役所もそうあからさまに言った訳じゃなくて、遠回しにそう言うたのですけどね。年齢や納税額で軽重の差があってはいかんと思いますわ。
この自立支援法は弱者無視の小泉自民党の時に自己負担がでるように改定されたのですけど、父のように年金収入がある人は自己負担分を払える。しかし、20才のフリーターがバイクで事故って首の骨折って寝たきりになりました、って場合は無収入なわけで、自己負担の10%を払えるわけないですわな。こんな法案は強行採決したらダメだよ。
とまあ頭を下げたかいがあったのかどうか解りませんが、無事に認定され、主治医も公社がお勧めしてくれたクリニックにお願いし、在宅での介護がスタートしました。
公社のM課長さん、ケアマネTさんにはとても感謝してます。介護初体験の右も左も解らん私に、仕事とはいえ親身になって段取りして頂きました。それまでの2名のケアマネがボンクラだったので初めは冷めた目で見てましたが、このお二方は信頼に足るプロでした。
ケアマネの中には障害者自立支援法を全く知らない人もいます。介護保険だけでまかなえる程度の老人しか担当したことないケアマネでしたら仕方ないでしょう。
病状にあった介護体勢がつくれる能力を持った介護事業所と、複雑な介護保険や障害者自立支援法に明るいケアマネを選ぶのが在宅介護の第1歩です。


ここまでのポイントを整理しましょう。

・寝たきりの経管栄養患者の在宅介護は受け入れ側の体勢をしっかり作ればどんなに重症でも可能。
・病院に居るうちに身体障害者手帳を申請しておくこと。
・在宅介護の司令塔であるケアマネ選びは重要。
・介護保険と障害者自立支援法で費用をまかなう。

さてここで最大の問題は、どうやって優秀なケアマネを見つけるか、であります。
ネットで検索しても大した情報はないです。各市町村役場には介護関係の窓口があります。宝塚だったら障害福祉課ですが、そこに相談しに行きますと、近所の介護事業所などを紹介してくれます。しかし紹介してくれた事業所やケアマネが優秀とは限りません。やはり正攻法で会って話してみるしか無いようです。人を見る目に自信が無い人にはしんどい仕事ですが、なに、ダメだったらケアマネや事業所は変えられますから、どんどんクビ切っていったらいいんです。
またこの作業は親の住んでいる街で行いますから、おそらく皆さんの幼少〜青春時代を過ごした場所でありましょう。故郷の同級生に連絡を取ってみれば同じ境遇の人も居ると思いますから情報をもらってみるのも良いと思います。なんせ介護は地元密着型の産業ですから、営業マン的に言い換えるなら、狭い範囲に拡販をかけるようなもんです。足で稼ぐしかない部分ですね。私の場合は午前中が自由に使えたこと、定休日が平日であったこと、いざとなったら臨時休業、と普通のサラリーマンより恵まれた環境でしたが、親が遠方にお住まいの方や、平日は忙しく時間がとれない人には大変な作業です。頑張って下さい、としか言えません。
もう一つ、市役所への申請等も含めて介護体勢を作るには1ヶ月以上かかる場合があるそうなので、退院時期の見極めは慎重に。ウチは1ヶ月たっぷりかかりました。

という訳で、父は2008年11月頭に退院して在宅での介護生活が始まりました。ヘルパーさんも優しい人達ですし、慣れ親しんだ自分の家に帰ってこれて、健やかな時間が流れていくだろう、、、と思っていたのですが。。。。続く。  
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2009年09月08日

介護シリーズ 第8弾 在宅介護へ




2008年残暑の頃、上ケ原病院でひどい目に遭った我々はとっとと退院したかったので、
介護保険を利用して在宅介護体勢を作るべく動き始めました。
父を長年慣れ親しんだ自宅につれて帰ることは母のたっての希望でもあった。
老老介護になるのでリスクは大きかったが、何とか希望をかなえてあげたかった。
私自身も何十年も住宅ローンを払い頑張って手に入れた家には愛着があるので、その気持ちはよく解る。
父も昔「家で死にたい」と言っていたし。

寝たきり状態のオヤジに必要なことは、オムツ交換、体位交換、インスリン注射、
鼻から胃に通したチューブによる栄養注入(経鼻経管栄養注入)、痰の吸引、
健康状態のチェック、訪問入浴、医師の往診、等々だ。

介護保険を利用することで、これらにかかる費用の10%だけを支払えばOKになる。
その全ての業務を取り仕切るのがケアマネージャという人です。
今までの父の担当ケアマネージャはあまりにも鈍くさかったので、
寝たきり老人を同じく老人の妻が介護し息子は同居していないという、
かなり大掛かりなプロジェクトには無理だろうということで代えようと思った。
このケアマネは訪問看護師の手配一つ満足に出来なかったのである。
父が脳梗塞を起こす前、クモ膜下出血の入院から退院してきた時に大便を踏ん張って出しづらくなっていて、
その排便管理等々で看護士を頼んでいたのに、退院後1週間しても誰も来なかった。
で、父は酷い便秘による腹痛を訴え救急車のお世話になった。
病院で便秘と診断されて、私は看護師が来て浣腸なりの処置をしているものだと思っていたので、
ビックリしてケアマネに問い合わせた所、「あれ、おかしいですね〜」と。
こりゃアカンと思い、即ケアマネさんの事務所に乗り込んで書類を探させ、
ケアマネに段取りを確認しながら各方面に連絡をとり私が手配した。
ミスの原因はFAXを流したけど届いていない、という初歩的な事務処理ミス。
思うにケアマネの仕事も、普通のサラリーマンが行う仕事と同じで、
やるべきことをサッと着手して経過を確認して納期通りきっちり収める。というのと同じスキルが必要でして、
このケアマネの場合はその辺が全然ダメでした。
ケアマネ選びは重要ですわ。

話を元に戻そう。
ケアマネ及び介護事業所、つまりコムスンとかニチイ学館等ですね、
これらを選ぶのにどういう基準で選んだらええのか私は自信が無く迷っていました。
で、宝塚市のサービスで老人家庭のお手伝いを格安で引き受けてくれる半分ボランティアのような組織があって、
それを母はよく利用していたのですが、その責任者の人に赫々然々(かくかくしかじか)と相談してみたのです。
そのリーダー曰く、父の場合は1日1回ヘルパーさんに来てもろて掃除や炊事してもらう程度じゃすまないマンパワーが多く必要なケースだから、大きな事業所を選ぶべきと。
私はそのアドバイスに従い、勧められた公営の「宝塚市保健福祉サービス公社」に依頼することにした。
ここは妻の母親もお世話になったところで良い評判は聞いていた。
で、早速その公社の課長のMさんとお会いし状況を説明したところ、快く引き受けて下さり、
担当になるケアマネさんと父の状態を見に病院まで来てくれた。
もちろん公社で一番のベテランのケアマネをお願いました。
ベテランケアマネのTさん曰く、オヤジのような重度の要介護者は医療、介護のそれぞれのスタッフの連携が重要だとのこと。
意味はよく解らなかったが、予断や先入観は持たず、その道のプロの意見を全て受け入れようと思いました。
そして介護プランを立てたわけです。

オヤジに必要なことは前述した通りですが、インスリン注射と栄養注入、及び痰の吸引は医療行為になるのでヘルパーはしちゃダメで、母が行わなければならないらしい。
ですので病院の看護師さんにお願いし、この3つの技術(医療用語で手技「シュギ」と言う)を習得すべく10月末の退院までの1ヶ月で母に特訓をしてもらいました。
私も一応できるように練習しました。
10分くらいでマスター出来た簡単なものでしたが、80近い母にはそう簡単なものではなかったようで、悪戦苦闘してました。

オムツ交換を怠りクソまみれで放置すると尿路感染で重篤な事態を招くし、
痰の吸引もしっかりやらないと誤嚥性肺炎を起こし死に至ることもある。
健康な人だと何でもないことが脳が正常に機能していない全身状態の悪い父には大事(オオゴト)なのですわ。
また夜間もオムツ交換と痰の吸引は必要ですが、その度に母が起きては睡眠不足でダウンは必至だ。
よって夜間の泊まりのヘルパーも必要になる。看護士も週3回以上は必要とのこと。
母の手技もおぼつかないので、行う際にはヘルパーの見守りが必要だ。
お風呂と医師の往診は週1。介護ベッドのレンタル料、オムツ代、医療費、等々。。
これらを合計すると1ヶ月で約120万円になった。
介護保険は30数万円しか出ないし、残り90万弱は自己負担だ。。。げっ、無理!
経済的に成り立たないじゃないか。。。
母を満足させる為に3ヶ月ほど家で過ごし、また病院に戻り(当然上ヶ原病院以外ね)3カ月毎に転々と療養ベッド難民となるしかないなと思った。
小泉改革を恨むのにも疲れ、がっくり肩を落とした私に公社のM課長さんが言った。
「身体障害者の支援施策があるので何とかなるかもしれませんよ」
へ? なにそれ。(つづく。。)  
Posted by Joe at 04:15Comments(2)介護

2009年08月25日

介護シリーズ 7回目



自公政権は時効を迎え選挙戦たけなわですが、皆様如何お過ごしでしょうか?前回は「郵政民営化に賛成か反対か」の一言で済まされた、なんともステレオタイプな馬鹿げた選挙でしたが、この世で白か黒かのどちらかで決着する事なんて、そうそう有るもんじゃありません。まして政治や経済はあちらを立てればこちらが立たずで、なんとも複雑なものでございます。今回はよーく考えて投票しましょうね。

では介護シリーズの 7回目です。
もう少し上ヶ原病院で騙された一件について書かせて下さい。
湾岸署の青島刑事は「事件は会議室で起きているのではない、現場で起きているのだ」と名言、いや映画のキャッチコピーを叫びましたが、今回の上ケ原病院にみられた差額ベッド代トラブルも会議室や院長室でなく、ソーシャルワーカーと入院患者の家族である私との間でまず発生しました。
太古の昔から、役人は賄賂を受け取り、商売人は利益を最優先に考えるわけで、昔も今もそれは変わりありません。政治と金の問題も詐欺事件も、私がオギャーと生まれた1960年から今に至るまで新聞紙上から消えたことがありません。そして最近は不祥事が起きて会社幹部のお偉いさんが記者会見でゴメンナサイすることは当たり前の風景になっています。
もちろん事件や不祥事の原因はお偉いさんの企みであるわけですが、発生するのは現場であります。
たとえば、冷凍赤福に違う日付の賞味期限をスタンプしたのは社長ではなく工場の従業員ですし、冷凍倉庫で輸入牛肉を和牛の箱に詰め替えたのも、腐った牛乳を出荷したのも、記者会見で頭を下げた人物でなく、「私は寝ていないんだよ!」と暴言を吐いた社長でもなく、現場の人間です。
そういう現場の人間は偽装や改ざんを知らなかったわけではありません。ほとんどの場合は知っていたか、薄々気が付いていたことだと思います。
私が以前勤めていた某製紙会社系列の商社でも、再生紙を使った名刺を使っていましたが、私は再生紙を使ったらこんなにキメの細かい白さにならないことは解っていましたし、内心ええんかいなと思っていましが、それほど気にも止めずに使用していました。会社のほとんどの者が古紙の含有率は謳い文句の30%や50%ではないと気づいていたはずです。しかし私は大したことではないと思っていたのです。当時の私にはコンプライアンスの意識はありませんでしたし、倫理的な視点もありませんでした。だから10数年前にはこのエコ偽装は発覚しなかったのです。翻って、もし私にもっとコンプライアンスの意識が高く、正義感があれば声を上げて、つまり内部告発してエコ偽装を止めることが出来たかも知れません。
実際にそのような行動を起こしたのが、雪印を告発した西宮冷蔵の社長さんであるわけです。べつに知り合いでも何でもないけど、立派な人だなと思いましたよ。
それに引き替え、上ケ原病院のソーシャルワーカーは個室代を請求してはならない厚労省通達を不勉強で知らなかったばかりか、指摘を受けても自身の誤りを認めなかった。医事課長は通達を知っていたのに騙し通そうとした。(院長に至っては寝たきりの患者に言葉の暴力を振るった。)
また国立循環器病センターのソーシャルワーカー氏も通達を知っていたのに、私に言わずに黙って見過ごした。
あまりにも現場の人間の意識が低過ぎます。病院は患者の人生に大きな影響がある現場です。そういう場所で働いている現場の人間はたとえ事務職だとしても、きちんとせなアカン。それが出来ないなら、そういう場所で働くべきではない。
責任はお偉いさんが取ることでしょうよ。じゃあ現場の人間は無罪か?そんなことないやろ。問題の芽を摘むのは現場しかないやないか。火事と同じで最初のうちに問題を解決しておけば大事に至らない。その為には、その現場で働く一人一人に、仕事に対する誠実な姿勢が必要です。

問題発生や業務改善、良いアイデア、仕事の喜びや苦しみ、等々の出来事は全て現場で起るのです。病院の場合は患者、もしくはその家族と医師や看護師、ソーシャルワーカー等の人間同士が顔を合わせる現場で起るのです。そこには仕事に対するプライド、誠実さ、理性と言い換えても良いと思いますが、それらが必要だと思います。あのソーシャルワーカー達は、あの一件で自分のとった行動を、自分の子供に堂々と話すことが出来るのでしょうかね?
上から言われたから何も考えんと言われた通りにします。これじゃあ理性ある大人の仕事とは言えませんよ。
組織で働くものにとっては辛い面もあるでしょうし、どんなにやったって不正や不祥事は無くならない。しかしだからといって諦めては世の中真っ暗闇ですわ。西川きよし師匠やないですが、小さなことからコツコツと理想に向かっていくしかないじゃないですか。
諦めて世を憂うニヒリストになっても、行き着く先は気が狂って大通りでナイフを振り回す大馬鹿野郎か、引き篭もりのオナニー野郎くらいなもんです。一度きりの人生ですから意義あるものにする為にも、理性を持って自分の仕事を誠実にやろうじゃあーりませんか。
私はこの一件で病院の人間、被害を受けた私、それを聞いて報道したマスコミ、放映を見た関係者のそれぞれの人と話をして、それらの立場において責任や理性について考えました。
長くなるからやめときますが短く言うと、高度に細分化された現代社会の仕事は、他と複雑に絡み合っているが、その回路図を俯瞰し理解するのは困難であり、その波及する影響も感受しがたい。それ故、自分自身のidentityをきっちり持っておかないと、どえらいことになるということですわ。この世で大切なものは何か、自分はどう行動するべきか、それぞれの現場でよく考えないとね。

という訳で来週は選挙です。当選した議員や政権を取った党には医療費を増やす政策をとって頂きたいものです。
新しい薬はどんどん発売され、より高度な検査機器も出来て、昔は助からなかった命も助かるようになって療養やリハビリ、介護などのコストも増加するのですから、医療費は増えて当然なんですよ。  
Posted by Joe at 04:29Comments(0)介護

2009年06月13日

介護シリーズ第6弾 上ヶ原病院で差額ベッド代バトル その2

市役所の障害福祉課のお役人さんが言うには、
患者が個室を希望せず、MRSAの隔離等の「病院の都合」で個室に入れる場合は請求したら違法なんだと、厚労省の通達のコピーを母に渡したのです。

以下はその抜粋
この通達は以下のURLで見ることが出来ます。
http://www.mhlw.go.jp/topics/2008/03/dl/tp0305-1ay.pdf
5ページ目にあります。


********************* ********************* ********************* *********************
(8) 患者に特別療養環境室に係る特別の料金を求めてはならない場合としては、具体的には以
下の例が挙げられること。なお、③に掲げる「実質的に患者の選択によらない場合」に該当
するか否かは、患者又は保険医療機関から事情を聴取した上で、適宜判断すること。
① 同意書による同意の確認を行っていない場合(当該同意書が、室料の記載がない、患者
側の署名がない等内容が不十分である場合を含む。)
② 患者本人の「治療上の必要」により特別療養環境室へ入院させる場合
(例)・救急患者、術後患者等であって、病状が重篤なため安静を必要とする者、又は常
時監視を要し、適時適切な看護及び介助を必要とする者
・免疫力が低下し、感染症に罹患するおそれのある患者
・集中治療の実施、著しい身体的・精神的苦痛を緩和する必要のある終末期の患者
・後天性免疫不全症候群の病原体に感染している患者(患者が通常の個室よりも特
別の設備の整った個室への入室を特に希望した場合を除く。)
・クロイツフェルト・ヤコブ病の患者(患者が通常の個室よりも特別の設備の整っ
た個室への入室を特に希望した場合を除く。)
③ 病棟管理の必要性等から特別療養環境室に入院させた場合であって、実質的に患者の選
択によらない場合
(例)・MRSA等に感染している患者であって、主治医等が他の入院患者の院内感染を
防止するため、実質的に患者の選択によらず入院させたと認められる者
********************* ********************* ********************* *********************

一番下の行の(例)がまさにウチの場合やんかいさ。
私はこういうことを全く知りませんでしたし、個室に入るしか選択肢は無いと上ケ原病院の若いソーシャルワーカーが言うのもですから、同意書にサインしてしまったのですよ。
しかし充分な情報提供が有ったとは思えないし、見過ごせない金額なんで、なんとか取り返したいと考えた。
友人の医師にや知人の医療関係者に聞いたところ病院都合の個室利用の場合は請求しないのが普通だから取り返せるだろうとのこと。同時に騙し取る病院も多いとも聞いた。
こちらは父を人質に取られているようなものですから、なるべく穏便に処理したいのでメールで「事務処理ミスですよね?」と優しく連絡した。
そしたら、上ケ原病院の若い女性ソーシャルワーカーは「請求は間違っていないので支払ってくれ」と電話してきたのですよ。
で、会って話しようということになって定休日に病院へいったわけですが、話し合いに先立ち担当医から話があるとのことで副院長でもある中里医師と面談した。
「本日の検査でMRSAが基準値を下回ったので相部屋に移りました」と。
はあ? なんや三文芝居を見るようでしたが、それに続けて中里医師が言うには「事務方との話し合いがどうなろうとも私たちの考え方は変わらない」と。つまり銭が取れないからデーターねつ造して相部屋に移したけど、他の患者からは今後も個室代を騙し取るつもりだという意味だとも解釈可能な言い回しです。
事務処理ミスで穏便に済ませたかったのですが、そうは行かないのだろうなと予感しました。
別室で若い女性ソーシャルワーカー2名はヒゲのおっさん相手に、
1-個室代金も明示したし、
2-その金額に納得してサインしたし、
3-請求は正当だから支払ってくれ
と言うわけです。
私が厚労省の文書を見せておかしいだろと言っても話は平行線。
明確にMRSA患者の隔離に個室代はダメよと書いてあるのに頑として金を払えと主張する。
この通達を知らなかったのか?と聞いても、上の人から突っぱねるように言われたのか?と聞いても黙って下を向くばかりでらちが明かない。
仕方がないから、「貴方達の言い分を文書にしなさい、その文書を持って厚労省に問い合わせる、それで請求が正当だと言われたら潔く支払いましょう」と申し出た。
彼女達は「ハイ解りました」と文書作成を了解した。
アホちゃうかと思いましたわ。自分たちの違法行為の証拠を自ら作るとは。
で、彼女達が退室した途端、医事課長という肩書きの桂井課長がお出ましになって、
1-自分が聞いていた話と食い違っている、
2-藤森は個室を希望したと聞いている、
3-その厚労省の通達は知っている、
4-平素は請求することが無い、
5-何がどうなっているのか調べるので時間をくれ、
とのこと。
やっぱりね。文書作ったら完全にアウトだからね。
この患者の家族は下っ端ソーシャルワーカーには対応出来ないと判断して化粧の濃い女性上司の登場となったわけです。
何とか穏便に済みそうだなと若干ホッとして、その日は終わった。

ところが数日後、この病院の院長である大江与喜子が父のベッドサイドに来て父と母に向かって「貴方達のような儲からない患者は迷惑なのよ」と暴言を吐いたのだ。
母はこの屈辱的な言葉にも気持ちを抑えて「そうおっしゃらずに主人を宜しく御願いします」と返事したそうだ。
後日それを聞いてめっちゃ腹が立ったので院長をどつき回したろかと思ったが、母がもめ事を起こすと父がひどい扱いを受けるかもしれないから大人しくしてくれと言うので、にらみつけるだけにしたが、この女院長は私と視線を合わさない。根性無しが。
そうこうするうちに2週間が経っても返事が無いので、医事課長に催促するも、もう少し待ってくれとのこと。
どうせ弁護士とでも打ち合わせしているのだろう。催促から1週間後やっと会いたいとの連絡が来て、医事課長と話し合った。
1-病院側の事務処理ミスだった
2-請求は取り下げる、受け取った部屋代も返却する
3-ミスの内容は担当者が辞めたので解らない
とのこと。
私はこれを受け入れたが、こういう違法請求は常態化しているのではないかと問うた。
1-最初は請求は正当だとの文書を作成すると自信たっぷりだったこと
2-常態化していないのなら、院長の暴言に従うと個室に入院している患者は全て迷惑な患者ということになること
3-下っ端のソーシャルワーカーはこの法律を知らない疑いが極めて高い。そうすると何の悪気もなしに請求し、私のようにサインし支払う患者がほとんどだろうということ。
4-中里副院長の「今後も考え方は変わらない」という発言

これらのことから兵庫県西宮市の上ケ原病院は請求してならない個室代を平素から違法に請求し患者から騙し取っている疑いが極めて高いと予想されます。実際私には請求して、私は支払ったのですから。私だけが特別であったとは考えにくい。
上ケ原病院には気をつけろ。
風邪でちょっと看てもらうくらいは良いのだろうが、しっかり看て欲しい時は避けた方が良い。
まして入院はやばいぞ。
院長があのような人物なので、その組織も推して知るべし。
現場の医師や看護師は別で純粋に医療に携わっているとアドバイスくれた人もいますが、それはある面では真実ですが、患者側にとっては医療スタッフもソーシャルワーカーも会計の担当者も「病院」なのです。
そして患者は病院では圧倒的に弱者なのです。医療技術や知識、医療に関する法的知識、費用の妥当性、等々知らないのが当たり前のことばかりなのです。
だからこそ知識のある者、技術を持った者はそれを正しく行使しなければなりません。
最近の言葉でいうとコンプライアンスでしょうか。あるいはモラルでしょうか。

という一連の騒動をある報道関係の知人に愚痴ったら、公共性が有るかもしれないと調べられて、一昨日民放の情報番組で取り上げてもらいました。私も仮名でインタビューに答えてますが、横顔と職業、オレンジ色の壁でバレバレですな。見た人いる?「かんさい情報ネットten」という番組なんですけど。  

Posted by Joe at 01:33Comments(62)介護

2009年06月12日

介護シリーズ第5弾 上ヶ原病院で差額ベッド代バトル

最初にお断りしておきますが、ここに出てくる病院名や個人名は実在します。
情報は個々を特定出来るものでないと意味が無いと考えます。
この介護シリーズブログは我々世代が直面する介護に関する情報を提供する為に書いているのですから。


国立循環器病センターで症状は落ち着き、糖尿病くらいしか目立った病気は無いという状態だが右脳が全滅状態は改善しない。
車イスに乗せ病棟内を散歩するのが精一杯で、相変わらずコミュニケーションはとれない。話しかけたら目線は合うし、歯を磨いてやろうとして「口開けて」と言えば口を開けるので言葉は聞こえて、ある程度は理解出来ているのだろうが、どのくらい理解出来ているかが確かめようが無い。なんとも切ない状況だが、仕方がない。

国立循環器病センターは急性期の病院なので、オヤジのように症状の安定した患者は転院を迫られる。
命を救う病院にいつまでも居座っては社会的によろしくないので、本心はこのまま待遇の良い国立循環器病センターに居たかったが、療養病床を持つ病院を探すことにした。
しかしこれが大変困難を極めた。
父は10年ほど前の大腸ガンの手術の影響で腹膜癒着があり、胃瘻のプラグが設置出来なかった。
胃瘻とは口から食べられなくなった人に、胃に直接流動食を流し込めるよう腹に穴を開けてプラスティック製の管を取り付けるものです。
しかしこれが不可能なので、鼻から胃に長いチューブを挿入して点滴で栄養液を入れることになった。この場合、衛生管理の面やチューブ交換の手間等からか解らないが、病院側が受け入れに難色を示すのだ。
色々な病院を打診したが、どこも経鼻経管栄養の患者はお断りで父は行き場が無くなった。
この病院探しは病院の便利屋と言ったら失礼かもしれないが、ソーシャルワーカーという職種の人がが面倒を見てくれる。
宝塚市立病院でも転院の際はお世話になったが、この国立循環器病センターのソーシャルワーカー氏は鈍臭い。阪神間で、つまり母が通いやすい場所で探してもらったのだが、お願いして1週間後の打ち合わせの際に彼が出してきたのは病院検索のサイトのプリントアウト一枚。
で、この中の病院のどこが受け入れ可能なのか尋ねるも、それはそっちで調べてくれとのこと。
なんや調べてへんのかいな、検索サイトのプリントアウトに1週間もかかったのか?なんの為のソーシャルワーカーやねん。
サラリーマン時代にこんな気の利かん部下が居ったら、営業会議でつるし上げか会議室に呼び出し御説教小一時間ものやね。
しかし怒りは顔に出さず、今一度受け入れの打診をしてもらうよう笑顔で頼んだ。
どこの組織にもダメな奴は居るし、ダメな奴に期待するより自力で探した方がストレスは減る。
で、父の人脈を色々使って口をきいてもらい、西宮市の関西学院の近くの上ケ原病院(http://www.uegahara.net/)に転院することになった。
転院に際し、上ケ原病院指定の検査を国立循環器病センターにて行ったのだが、その検査で父の身体からMRSAが検出された。
私は新聞等でMRSAというブドウ球菌の名前程度は知っていたが、それが患者の隔離が必要なものとまでは知らなかった。
上ケ原病院には相部屋でお願いしていたのだが、隔離の為、個室に入らなければならないとのこと。MRSAは父の身体には何でもないが、上ケ原病院には血液系の入院患者が多く、その患者にMRSAが感染するとまずいので個室に入ってくれとのこと。
差額ベッド代である個室代は一日当たり12,600円、1ヶ月で378,000円。
医療費やオムツ代など合わせると毎月50万円にもなる。
両親の年金では大赤字。かなわんなー、と思ったが国立循環器病センターからは早く転院しろとせっつかれてるし、他の病院が見つかる確率は極めて低いし、MRSAが消えたら相部屋に移れるということで了承した。
この辺のやり取りは国立循環器病センターと上ケ原病院のソーシャルワーカー同志で行い、私は国立循環器病センターのソーシャルワーカーからの連絡を受け決断した。実際それしか選択肢は無かったのだ。
で、7/31に転院して、夏休みが終わろうかという頃、申請していた父の身体障害者手帳が交付された。
寝たきりの場合でも立派な身体障害者ですから、色々な助成施策を使わない手はありません。でもタクシー等交通機関の割引とか、携帯電話の割引とか父には使えないものが多い。
で、高額な入院費用に何か補助は無いのかと宝塚市役所の障害福祉課に母が問い合わせたのです。
そうすると、一日12600円の個室代は払う必要が無いと言うのだ。

えっ、ホンマかいな? ・・・・・・・・・続く  
Posted by Joe at 03:23Comments(2)介護

2009年05月24日

脳梗塞

介護シリーズ 第4弾

豚インフルエンザ流行の昨今、街中ではマスク姿が多いです。
このことを集団ヒステリーだ、マスコミに踊らされている、等の批判記事を友人知人のブログ等で目にしますが、はたしてそうでしょうか?
まず、マスクは我が身をウイルスから守る為ではなく、自分が感染しているかもしれないインフルエンザウイルスを撒き散らさない為のものです。逆にとらえている人が多いんでない?
ボクが塗装する時に使うのは逆で合ってますけどね。
ウイルスをタバコに換えたら解りやすいでしょう。人混みでタバコの煙を撒き散らすのは人迷惑ですよね。
タバコの煙より新型インフルエンザウイルスの方がはるかに人迷惑でしょう。
タバコの煙は一瞬吸い込んだところで、気分が悪くなったりする程度でほとんど済むでしょうけど、ウイルスは数日仕事を休まなアカンことになるのですから。
もう一つは健康な人なら薬飲んでしばらく寝たら治る病気ですが、身体の弱い人や薬を敬遠している妊婦さんなどには深刻な影響を与えるということです。
あなたの隣を歩いている人は、もしかしたら抗がん剤治療中で免疫力が低下している人かもしれません。あなたが話している商談相手は腎臓が悪く人工透析している人かもしれません。
パッと見では解らないが健康に問題を抱えている人は結構いるものです。
こういう時は弱者基準でいきましょう。今回のインフルエンザもそうですが、自然災害や経済危機、戦争など何かことが起きて一番影響を食らうのが金も健康も無い弱者です。
一番弱い人に強い人が合わせることが自然に出来る社会が良い社会だと思いますけどねぇ。
なにも禁煙しろ等と言っているわけやないのです。マスクするだけです。大したことやおまへんでしょ。
心当たりのある人はマスクをしましょう。豚インフルエンザの今回に限らず香港型でもソ連型でも、かかったかなと思ったらマスクをしましょう。


さて長めのマクラはこの辺にして介護シリーズ、今回は脳梗塞です。

2007年 7月。奈良のリハビリ病院から退院してきた父は介護保険を利用して、自宅でぼちぼち暮らそうということになり、介護初体験の母と私はドタバタとなんやかんやと発生する問題を片づけながら日々過ごしていたのですが、退院2ヶ月後の9月に突然脳梗塞を発症したのです。

脳梗塞は脳の血管に血の塊が詰まって血管をふさぎ、血液で運ばれるべき酸素や栄養が行かなず、その先にある脳味噌が腐って死んでしまう病気です。腐って消滅した脳味噌の跡は空間が出来て、やがて脳は萎縮が進み認知症などの原因になります。
死んだ脳味噌の場所によっては命を落としたり、大きな後遺症が残ったりと症状は様々であります。
詳しくは ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/脳梗塞

父の場合は左の大脳で小規模なものでした。命に別状はありませんが、一年前のクモ膜下出血のこともありますので慎重に治療して快方へ向かい、、、と思ったのですが、なんとその数日後に右脳の大部分を損傷する大きな脳梗塞を再び発症してしまったのです。
右の脳へ行く大きな太い血管が詰まったものですから、その先の枝分かれしている血管全てに血液が行かず、右脳は大きなダメージを受けました。右脳ほぼ全滅。
国立循環器病センターに入院中、しかも脳梗塞を治療中に脳梗塞になるって、どうやねん?
と思ったので友人の医師に聞いてみたが、脳梗塞を予見することは難しく、そういうこともあるとのこと。国立循環器病センターの担当医の言と同じである。
父は一年前に転んでクモ膜下出血を起こした際に血液をサラサラにする薬(ワーファリン)をストップしていました。その薬のせいでなかなか出血が止まらなかったそうで、転んで頭を打つ際の出血リスクを考え合わせ、脳梗塞予防よりも脳出血しにくい方を選択したのです。
しかし、今回はそれが裏目に出て血液の塊が出来て血管に詰まってしまいました。
脳梗塞の治療薬でt-PAという血栓溶解薬があるのですが(http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamph/pamph_63/panfu63_05.html)、国内の薬品メーカーが厚生省に圧力をかけて認可を遅らせるほど効き目の鋭い薬で、発症3時間以内の脳梗塞であれば驚異的な治療効果が有るものです。
病院内で発症し、しかもそこは脳梗塞治療では日本屈指の国立循環器病センター。t-PAを使わない手はないだろうと医師に迫ったのですが、この薬を使うには色々制約があるそうです。
最近脳梗塞を起こしている、最近脳出血を起こしている、高血圧、等は使用不可。
オヤジには全部当てはまるではないか。
血栓溶解力が強い分、出血のリスクも高いそうでやみくもに使うと、どえらいことになるそうです。
そう言うわけで素人の聞きかじり知識は簡単に論破されt-PAは使えず、ヘパリン等の点滴で処置するしかなく、その時から父は言葉と思考と身体の自由を失うことになったわけです。

つまり寝たきりになったのです。またモノを食えなくなったので鼻から胃に通したチューブで栄養液を点滴することになりました。 飲み込む、つまり嚥下は右と左の脳を均等に使うそうで、父のように一方がやられたら飲み込むことが出来なくなるのです。
飲まず食わずで口を使わないので唾液の分泌が減少してくる。そうすると口腔内の殺菌能力が低下し、よろしくない菌がはびこる。それが何かの拍子に肺に入り、誤嚥性肺炎をおこし重篤な事態になることは非常に多い。新聞の訃報欄の「肺炎で死亡」というのはこの誤嚥性肺炎の場合が非常に多い。
また全身の司令塔である脳がダメになったので、全身の状態が悪化します。父はSCU(ストロークケアユニット)集中治療室のようなものですが、そこから一般病棟へ移れるくらい回復したころに感染症になり死にかけました。このときはさすがに覚悟を決めましたが、さすが国立循環器病センターです、経験豊富な医師グループの高度な治療で何とか一命を取り留めてもらいました。
そして一ヶ月後にはSCUを出て一般病棟に移ることが出来たのです。
本格的な寝たきりライフのスタートです。

癌が治癒して寝たきりになることはまれです。しかし脳梗塞は治癒したあとに寝たきりになることが多い。
寝たきり老人の40%は脳梗塞の後遺症だという統計があります。
日本の医療費で一番は癌の2兆円で、第2位が脳梗塞を初めとする脳血管疾患の1.9兆円だが、後遺症の為の介護費等々を加算すると癌を抜き一番金のかかる病気になる。
ところが脳梗塞は我々中年では誰しも罹患することがある病気だという認識がガンほど無い。
死亡原因第2位だというのに。

予防には、水分をしっかり摂る、高血圧はダメ、禁煙すること、糖尿病はやばい、等々ですが、詳しくはかかりつけの医師に聞くなりググるなりで調べてください。
とにかく脳がやられたら終わりですから、ほんまに気ぃつけなあきません。
ウチのお客さんの中にも脳梗塞で苦しんだ方がいます。
出張先で倒れ2年のリハビリでやっとギターが弾けるまで回復できたがジャズギターはもう弾けないという方。
夕食中に奥さんに片方の目が動いていないのを発見され、速攻で病院にいき軽症で済んだ方。
仕事中に倒れ回復はしたが退職を余儀なくされた方。
身体がしびれてきて脳梗塞だと解ったのは数日後という方は身体のしびれが取れない後遺症を。
この人たちはいずれも私とほとんど同じ年齢の働き盛りです。
神様は仕事の出来る有能な人間に強靱な身体を与えた訳ではありません。
同世代諸君、どうかご無理なさらずに。どうぞ脳味噌を大切に。
  
Posted by Joe at 05:20Comments(1)介護

2009年04月03日

お金の管理は早いうちに引き継いだ方が良い




介護シリーズ第3弾です。

本人の物忘れなどで暗証番号が解らなくなったり、ハンコを紛失したり、老い故の原因もさることながら、銀行の対応が原因でお金で苦労することもあります。
銀行などの金融機関は年々セキュリティー意識が高まってきており、口座の本人以外が入出金することに対し厳しいチェックが入ります。
マネーロンダリング問題の所為もあるのでしょう。

先般、父名義の定期貯金が満期になったので介護費用に充てるべく解約しようとしたのだが、窓口まで父がきて署名捺印せにゃならんというのだ。本人以外はダメだと。
定期貯金はともかくキャッシュカードを家族が使って入出金することはよくあることですが、銀行側は黙認しているだけであって、あからさまに知ってしまった以上、キャッシュカードも使わないようにと言わざるを得ないとのこと。
そらそうやろ。本人の確認なしに銀行が勝手に出金を許したらアカンわな。
息子であっても親の金をかすめ盗ろうとしているかもしれんし、妻であっても離婚寸前かもしれん。
しかし、父は寝たきりで歩くことはもちろん、文字を書くことも喋ることもダメなので、どうしようもない。
高齢化社会の昨今、こういう状況は珍しくないだろうに、どういう対応を取っているのか聞くと、明確なルールは無くケースバイケースで対処しているとのこと。
かくして担当営業ウーマンとの半月以上の電話交渉の末、自宅に来てもらい実際にオヤジを見てもらって本人確認を行うということでケリがついた。
オヤジのように突然ぶっ倒れたらどうしようもありませんが、元気なうちに定期貯金の満期等をチェックしておいて資金計画をきっちり立てておくことをお勧めします。

次は暗証番号を忘れた母の口座。
先日、キャッシュディスペンサーで心当たりがあるという番号でトライしたものの全てアウト。
しかも5回間違うと自動的にそのカードが無効になる。
というわけで役立たずのカードを握りしめ、1番奇麗な娘の居るカウンターに行き、かくかくしかじかと説明するも、ヒゲ面の私が逆に盗人と疑われるハメになった。
中年になったら自分の顔に責任を持てというから仕方ない。美女にたてつくことは止めた。
丁寧に再発行をお願いしたのだが、そもそも本人以外がカードを使うことがダメなのに、カードの再発行なんてとんでもないとのこと。まして届出印も不明やし。
そらそうやろ。セキュリティーはしっかりしてもらわなあきません。
しかし母は父の介護で1歩も外出出来ないのだ。ヘルパーは痰の吸引が出来ないし、痰がつまったら父は簡単に窒息死してしまう状況。
で、美女の上司に登場願い交渉が始まる。ああ、面倒くせーー。
この銀行も同じくケースバイケースで対処しているとのこと。
ちょっとした脅しと、各種書類を揃えることで一件落着したが、かなり時間をくってしまった。

こういうことって、1件だけだったら良いのですが、何件もあると結構面倒くさいものです。
銀行て、全ての手続きに本人確認が必要なんですわ。
同世代の皆様、御両親が元気なうちに、どこの銀行にいくらあって、いざと言う時はどのように使うかを話し合っておき、銀行に二人で行って、あらかじめ代理人登録をしておくことをお勧めします。
代理人登録しておくと、面倒なことなしに入出金や振り込み、解約等の手続きが出来ます。
銀行によって違うかもしれませんが、ほとんどの銀行は対応しているだろうとのこと。

お金の管理を子に任すことは、親にとって自分自身が惚けたことを認めるようなもので、なかなかスムーズにいかないものです。
でもこれから先、ますます銀行のセキュリティーは強固になっていくでしょうから、なるべく早い目に手を打った方が良いですよ。  
Posted by Joe at 04:49Comments(2)介護

2009年02月09日

アナタはもう歩けません


GRD 病室から見る夕焼け


介護シリーズ第2弾です。


2006年 秋
バス停の段差で転んで頭を強打。
国立循環器病センターにてクモ膜下出血と診断されるが、命に別状はなく軽症。
しかし、そのせいで脳の萎縮が進み、運動機能障害と若干の痴呆症状が出るようになった。
2007年1月 宝塚市立病院リハビリ科に転院。足で歩けるようリハビリに取り組むが効果が出ない。
2007年2月 奈良のリハビリ専門病院に転院。やはり効果無し。

この頃の私は実家にほとんど帰らず、こういう事態になっている事を詳しく知らなかったのです。
子供に心配をかけたくないという気持ちからでしょうが、自分の親不孝を反省しました。
で、ある日突然、宝塚市立病院のリハビリ科の女性ドクターから電話で呼び出されたのです。
翌日会って話を聞いたのですが、女医の言う事は以下の通りでした。

1_リハビリしても効果が出ず、父はもう一生歩けない
2_自宅で車イスの生活になるから、介護保険を利用して自宅介護の体勢をつくりなさい
3_早速、自宅の間取図を出してもらおう、ケアマネとも打ち合わせが必要だ

私はあまりの急展開にポカーンとして、口あんぐり状態だったのですが、
全ての事情を把握し、リハビリに関して色々調べてみると、以下の事が解りました。

1_リハビリには急性期リハビリと療養期リハビリがあり、急性期リハビリは発症後3ヶ月以内に行わないと効果が無い
2_国立循環器病センターから転院する際の病院選びでは、この区別をソーシャルワーカーは考慮せず病院選びを行った
3_宝塚市立病院では急性期リハビリのプログラムでは行っていない

1日1or2時間くらいのリハビリをやる以外はベッドで寝ているのですから、そら歩けるようにならんわなと思いましたよ。
歩けない⇒車イス⇒介護保険適用⇒家のリフォーム⇒デイサービス と型にはめようとしている印象を持ちました。
介護保険利用まで医師が面倒をみて利益があるのか?あるんだろうなー、ケアマネにも利益が・・・そういうことか?
まあ疑い出したらキリはありませんが、この女医はしつこく間取図を出せと私に電話してくるので、
「あんたは大工か! あんたの仕事は父を歩けるようにする事ではないのかっ!」と一喝してしまいました。
そうすると、この患者の心情を察しないお嬢様育ちぽい女医はやっとおとなしくなりました。

ケアマネージャーにも会って話を聞きました。
私は介護保険には全く知識が無く、説明を聞いたのですが介護保険の仕組みはかなり複雑で、これでは老齢の母が理解できないのも無理は無いと思いました。
私より少し若いこの女性ケアマネは昭和一桁生まれの母にうまく説明できず、介護保険はややこしいという印象を植え付けるだけの結果となりました。
このことが後々少なからず影響を与えることになった。
しかしそれ以前にこのケアマネ、やる気が無さそうだったので、正直やりたくないのか本音を言うように詰問すると、やりたくないと。。。
続いて介護保険システムの不完全な所などを蕩々と語り出し、私はこりゃアカンわと確信した。
お客の前で自分の会社や組織を非難する人間に仕事の出来るやつは居ない。クビにしました。

さて話は戻りますが、「アナタはもう歩けません」というのは余命宣告ほどではありませんが、父にはかなりショックなことでした。
なので、本人も歩けるようになりたいと言いますし、この小うるさい女医とおさらばすべく転院を決断しました。
市立病院のソーシャルワーカーや各方面からの情報で森ノ宮のボバース病院が良いということがわかり、打診して入院OKまでいったのですが、母の希望で父の京大学生YMCA時代のメンバーであった鍋島院長の西大和リハビリテーション病院にお世話になることになりました。
最初の診察で、父の脳のCT画像を見た鍋島院長が「これがあの藤森先生の脳とは・・・」と絶句した光景が忘れられません。
素人の私が見ても隙間の黒い部分が多いなと思ったほど父の脳は萎縮が進んでいました。
ここではかなり頑張って取り組んだのですが、効果はあまり上がらず認知症が若干進んだだけという切ない結果に終わりました。
こうなることが分かっていたら、最初からあの女医の言う通り自宅に帰って夫婦で静かな時を過ごさせてやったら良かったと後悔しました。
あの女医の言い方に、もう少し本人や家族が受け入れられやすい思いやりや配慮と、充分な説明があれば良かったのにとも思いました。
医師の言葉は適確でなければならないと思いますが、冷酷であってはいけないと思います。

続く

  
Posted by Joe at 03:04Comments(0)介護

2008年12月19日

経緯&概要



ギターと関係ない内容で恐縮です。
オヤジの介護シリーズの第1回目はことの始まりから現在に至るまでの概要です。

1925年11月生まれの、現在83歳の父は神戸女学院を退職後、若干の名誉職などをこなしながら年金生活を送っていました。
96年に大腸の横行結腸に癌が見つかるが、手術が成功し完治。
それ以前とそれ以後に数回心原性脳梗塞を患うが、いずれも大事には至らず、
若干の言葉の障害とほんの少しの四肢のマヒ等があるものの、歳の割には老けてるかなくらいの風情で、
夫婦で海外旅行に行ったり、毎週日曜には教会の礼拝に行ったり、執筆したりと夫婦でそれなりの老後ライフでした。

ことの始まりは2年前の冬でした。

2006年 12月4日
父は何を思ったか、早朝に1人で出かけてバス停の段差で転んで頭を強打。
国立循環器病センターにてクモ膜下出血と診断されるが、命に別状はなく軽症。
しかし、そのせいで脳の萎縮が進み、若干の痴呆症状が出るようになった。

2007年1月
宝塚市立病院リハビリ科に転院。足で歩けるようリハビリに取り組むが効果が出ない。

2007年2月
奈良のリハビリ専門病院に転院。効果無し。上の写真はこの頃撮ったものです。

2007年7月
退院。歩けないが自宅にて介護保険を利用してぼちぼちと暮らしていこうと舵を切る。

2007年9月
脳梗塞を発症。国立循環器病センターに搬送、緊急入院。
その数日後入院治療中に更に右脳の大部分を損傷する大規模な脳梗塞を発症。SCUにて集中治療を施し、一命をとりとめる。
しかし数ヶ月後SCUから一般病棟に移れるかもというタイミングで感染症をおこし危篤状態になるが、
何とかピンチを脱し一般病棟へ。寝たきりで、自発開眼はあるものの意思疎通は不可能で、植物人間1歩手前といったところか。
その後は悪いながらも安定し、数ヶ月後に療養型病院に転院を迫られる。

2008年7月31日
西宮市の上ケ原病院へ転院。

2008年11月4日
在宅看護に切替え、自宅での終末期を過ごすべく万全のケア体勢を作る。
現在進行中であります。



こうやって振り返ると、数々の後悔が頭をよぎります。
それまでは医療崩壊、老老介護、介護難民などの新聞の見出しはどこか絵空事で自分には関係ないことだと思っていました。
しかしいざ目の前に突きつけられると、あたふたとうろたえ、くよくよ悩んだり、決断に迷いが出たりします。
しかし物言わぬ父を抱え、あたふたとうろたえているのは私よりも年老いた母でした。

まあ能天気な私ですから、あまり悲壮感に浸るのも性に合わんので、楽しい介護とまではいきませんが、
無理しないでやっていきたいと思います。

で、アドバイスですが、寝たきりになったらどうして欲しいか、延命治療はするのかどうか、
葬式には誰を呼ぶのか、墓はどうするのか、等という聞きにくいことですが元気なうちに是非とも聞いておくことをお勧めします。
私は「家に帰りたい」としか聞いていなかったので、きちんと聞いておくべきだったと後悔してます。


追記
あ、すみません。
肝心なことを書き忘れていますが、私は宝塚の実家に同居して介護してはいません。
ここ、大阪玉造に住んでおります。ですので、実家は老老介護の2人しか居りません。
だからあんまり大変じゃないのです。これから大変になるかもしれないけど(^^;
  
Posted by Joe at 04:35Comments(2)介護