2008年12月19日
経緯&概要

ギターと関係ない内容で恐縮です。
オヤジの介護シリーズの第1回目はことの始まりから現在に至るまでの概要です。
1925年11月生まれの、現在83歳の父は神戸女学院を退職後、若干の名誉職などをこなしながら年金生活を送っていました。
96年に大腸の横行結腸に癌が見つかるが、手術が成功し完治。
それ以前とそれ以後に数回心原性脳梗塞を患うが、いずれも大事には至らず、
若干の言葉の障害とほんの少しの四肢のマヒ等があるものの、歳の割には老けてるかなくらいの風情で、
夫婦で海外旅行に行ったり、毎週日曜には教会の礼拝に行ったり、執筆したりと夫婦でそれなりの老後ライフでした。
ことの始まりは2年前の冬でした。
2006年 12月4日
父は何を思ったか、早朝に1人で出かけてバス停の段差で転んで頭を強打。
国立循環器病センターにてクモ膜下出血と診断されるが、命に別状はなく軽症。
しかし、そのせいで脳の萎縮が進み、若干の痴呆症状が出るようになった。
2007年1月
宝塚市立病院リハビリ科に転院。足で歩けるようリハビリに取り組むが効果が出ない。
2007年2月
奈良のリハビリ専門病院に転院。効果無し。上の写真はこの頃撮ったものです。
2007年7月
退院。歩けないが自宅にて介護保険を利用してぼちぼちと暮らしていこうと舵を切る。
2007年9月
脳梗塞を発症。国立循環器病センターに搬送、緊急入院。
その数日後入院治療中に更に右脳の大部分を損傷する大規模な脳梗塞を発症。SCUにて集中治療を施し、一命をとりとめる。
しかし数ヶ月後SCUから一般病棟に移れるかもというタイミングで感染症をおこし危篤状態になるが、
何とかピンチを脱し一般病棟へ。寝たきりで、自発開眼はあるものの意思疎通は不可能で、植物人間1歩手前といったところか。
その後は悪いながらも安定し、数ヶ月後に療養型病院に転院を迫られる。
2008年7月31日
西宮市の上ケ原病院へ転院。
2008年11月4日
在宅看護に切替え、自宅での終末期を過ごすべく万全のケア体勢を作る。
現在進行中であります。
こうやって振り返ると、数々の後悔が頭をよぎります。
それまでは医療崩壊、老老介護、介護難民などの新聞の見出しはどこか絵空事で自分には関係ないことだと思っていました。
しかしいざ目の前に突きつけられると、あたふたとうろたえ、くよくよ悩んだり、決断に迷いが出たりします。
しかし物言わぬ父を抱え、あたふたとうろたえているのは私よりも年老いた母でした。
まあ能天気な私ですから、あまり悲壮感に浸るのも性に合わんので、楽しい介護とまではいきませんが、
無理しないでやっていきたいと思います。
で、アドバイスですが、寝たきりになったらどうして欲しいか、延命治療はするのかどうか、
葬式には誰を呼ぶのか、墓はどうするのか、等という聞きにくいことですが元気なうちに是非とも聞いておくことをお勧めします。
私は「家に帰りたい」としか聞いていなかったので、きちんと聞いておくべきだったと後悔してます。
追記
あ、すみません。
肝心なことを書き忘れていますが、私は宝塚の実家に同居して介護してはいません。
ここ、大阪玉造に住んでおります。ですので、実家は老老介護の2人しか居りません。
だからあんまり大変じゃないのです。これから大変になるかもしれないけど(^^;
Posted by Joe at 04:35│Comments(2)
│介護
この記事へのコメント
「アドバイス」
ん~、そういうもんですか・・・。
そうかもしれませんね。
ん~、そういうもんですか・・・。
そうかもしれませんね。
Posted by はしぞう at 2008年12月19日 17:51
はしぞうさん、
たしかにそういうもんである、とは言いにくいけど、
聞いておいた方が後悔はないと思いますよ。
たしかにそういうもんである、とは言いにくいけど、
聞いておいた方が後悔はないと思いますよ。
Posted by Joe
at 2008年12月20日 12:41

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