2008年06月11日
考え方

例えばアンプを買いに楽器店に行くとする。
全てのツマミを「5」に合わせて、それがニュートラルな音だとして音を鳴らす。次のアンプも「5」に合わせて、先のアンプと音色を比較する。
これは間違った選び方だ。アンプの音色を出すのではなく、自分の頭の中にある好きな音色、もしくは出したい音色を鳴らす為にアンプのツマミを回して調整するのだ。
だからそれぞれのアンプでツマミの位置が違って当然。そしてどれが目指す音に1番近い音が出るかを比較する。
これが正しい楽器選びだと私は思う。(もっとも音色以外にも値段や大きさ重さなども考慮するでしょうが)
F社とG社のピックアップはここの構造が違うからそれぞれの特徴的な音が出るんですね?と尋ねた方がいたとする。そりゃそうだ。マグネットの種類や配置、コイルの巻き方、巻き数等々大きく違う。事実はそうだが、考え方は間違いだ。ピックアップが特徴的な音を実現したのではなく、F社には目指す音があって、その音を鳴らす為にそういう構造にしたのだ。G社も思い描く音色を設計で具現化したのだ。つまり人間がその音を出そうと、あれこれ考えて形にしたのだ。その結果がそれぞれのPUの姿であって、結果が原因を生み出したと考えるのは間違いです。
つまり主体は人間にあるわけで、モノが先にあった訳ではない。
良く考えりゃ当たり前のことですよね。
「桜の花は美しい」という場合、桜そのもの、つまりセルロースの細胞壁で形作られた植物細胞の塊が美を発しているのではなく、桜を見た人間の心にある美という価値を桜に投げかけたから美しいと感じたのです。だから美しいと感じない人が居るのも当たり前。そこを議論するのはナンセンス。
楽器のように人間が手に取りその共同作業によって美を生み出すものは、まず人ありきです。作る方も、弾く方も、それぞれの意思を反映させたものであるべきだと思います。例え良いものであっても、意思の無い偶然の産物は行為としては値打ちが無いと思います。
簡単に言うと、ギターをオーダーするお客さんは「どういう音が鳴るギターが欲しいのか」ということを考えて頂きたい。(私はギターの本質はサウンドだと思っているので、もし「見た目だ」というルシアーだったらコメントも変わるでしょうけど)
難しいことではありません、Claptonのブラッキーの音、サンタナのLPcustomの音、等の表現でいいのですよ。(もし無かったら、私の好きに作らせてもらいますが。。)
ギターを弾く人は「どういうリズムやメロディーを鳴らしたいのか」ということをイメージして欲しいわけです。
人の意思が全ての価値の源になるのです。
Posted by Joe at 05:19│Comments(0)
│工房風景
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。