野坂昭如の言葉「生きる為の選択肢が沢山あるのが良い世の中だ」。
これは民主主義をよく言い表した言葉だと思います。
民の主体的な意思によって物事を運ぶ体制のことで、反対語は独裁だ。
今日、ボク達がギターを弾けるのも、好きな歌を唄えるのも、気に入った服を着て、
何を食べようかと考え、誰と結婚して、子供を何人作って、何処に住もうか、
どういう仕事をするか、どの神様を信じるか、、等々を自分で決めて実行出来て、
そしてその選択が尊重されているのは、日本が民主主義の国だからです。
現代に生きるボク達は当たり前のようにこの自由を謳歌しているが、
歴史の授業で習ったように日本が民主主義を得ることが出来たのはつい数十年前のこと。
世界には民主主義ではない国がまだまだ沢山あります。
民主主義を得る為には多くの累々とした死体の山が有った。
光州事件の犠牲者然り、抗議の焼身自殺をしたチベットのお坊さんもそうやし、
戦車にひき殺された中国の学生、ミャンマーで殺されたジャーナリスト、、、
思いつくまま上げましたが、星の数ほどの人々が命を懸けて獲得してきたものです。
それほど民主主義は、自由は尊いものだと思います。
橋下市長は大阪の公立学校教員に君が代斉唱を強制します。
唄わない自由を認めない。
その理由が「ルールだから」という下らないもの。
君が代というデリケートな問題に対して、教員がそれぞれの思想を持つことは当然、
いや持たなければ教員の資格はないと言っても過言じゃない。
そういうものに対して「ルールだから唄え」とは呆れる。
自由の為に戦い犠牲になった多くの命に対する畏敬の念が全く感じられない。
なぜ橋下さんは御自身が持つ右翼思想を前面に出して「君が代は素晴らしいから唄うべき」と正直に言わないのでしょう。
それだったらまだ理解出来ます。ボクは多様性を認めるから。
しかしこの問題を彼は就業規則の論議に成り下げて大阪の人を騙そうとしている。
だからボクは橋下さんが嫌いなんだ。
いくら財政赤字を減らしても、役人天国をぶっ壊しても、ボクやボク以外の人の自由が奪われるのはごめんだ。
ボクは好きな歌を唄いたいし、嫌いな曲は演奏したくないのだ。